私の人生、今何ページ
何年経っても、何歳になっても、厨二病が治りません。漫画・アニメでは、熱いシーンに胸躍り、そのセリフや行動を真似しています。自分はいつも、サラッとそのセリフを言いたいと考えています。今回は、私生活の中で言いたい、アニメのセリフを3つ紹介します(難易度高め)。
①この眼は、闇がよく見える
ナルトの永遠のライバル、うちはサスケの言葉です。真夜中の、暗い道とかで言ってみたいものです。
②今日の俺、120点
ハイキューの白鳥沢高校、ゲスモンスターでお馴染みの天童覚の言葉です。すごく調子がいい時に、煽るように言いです。
③100年後までご機嫌よう
ブリーチの十二番隊体調、涅マユリの言葉です。
[私は完璧を嫌悪する、完璧とは絶望だよ]という言葉も有名だと思います。こちらにしようとしたのですが、これは科学者である涅マユリが、今までのものよりも、素晴らしいものであれ、でも完璧であるなかれという思想をもっているのでカッコいいと思っています。なので、この後のセリフを選びました。
最初に書きましたが、こんな言葉を普段の生活の中に散りばめたら、友達がどんどんになくなるでしょう。いや、こんな言葉を散りばめていたからこそ、友達がいなくなってしまったのでは?と思ってしまいました。
ですが、僕は今後を厨二病で居続けるでしょう。そして他人に何を思われても、心を燃やして、胸を張って生きていきます。
8月、本気出しすぎな
7月は暑いと思いはしたものの、なんとか耐えることができました。しかし、8月になった途端、危険と感じるほどの暑さになりました。いよいよ、8月が本領発揮してきましたね。
今年の8月は自分の中で決めたことが2つあります。
①ご先祖様のお墓参りに行くこと
②私服を着るときは、長袖を着ること
です。
①に関しては、予定があるだとかで中々行けませんでした。自分の成長を報告するためにと思って今年は必ずと思い、先日行きました。しかし、どれが該当するお墓か分からず、Face time で母と交信しながら見つけました。無礼をお許しください。
②は、特に理由は無いんですけど、8/1にやろうと決めたので、今でも続けています。父にはなぜそんなことをしているのか?と聞かれましたが、自分にも分かりません。男の意地です。これをやり切った日には、自分は大きく成長していると期待しています。
この夏は、今までの夏とは違い、どこか寂しいものになってしまいましたね。堂々と帰省や旅行、遊びに行けず、三密を避けろとかソーシャルディスタンスだとか、マスクをしろだとか制約が多くて肩身が狭いです。
しばしば、遠方の友達と連絡をすることがあります。この状態が収まって、早く会いたいなと思います。ソーシャルディスタンスを意識しながらも、家族や友達、大切な人との、心の距離はいつまでも近いものでありたいと思った、39℃の猛暑日。
卍解を修得するために修行始めます
と聞いて、あーーとなる人さすがです。
自分の好きなアニメの1つに、BLEACHがあります。滅却師編が、アニメで放送されることが決まり、また脚光を浴びていますね。
自分の思う、この漫画の魅力。それは、、、
厨二病心を以上にくすぐる
ということ。
斬魄刀や技の名前、登場人物の名前がいちいちカッコいい、作者は天才なのか?と思ってしまいます。
最後に、私が一番好きなキャラクター、十二番隊隊長、涅マユリの言葉を載せて終わります。
[私は完璧を嫌悪する!!完璧であれば、それ以上は無い。そこに創造の余地は無く、それは知恵も才能も立ち入る隙がないと言う事だ。]
毒々しい見た目からは想像もできないカッコ良さ、ぜひ読んでいただきたい。
何かを極めるのに人の目なんて気にしてられない
進む
今日ある言葉に出会って、感銘を受けました。
[他人は自分が思っているよりも自分のことを気にしていない]
何か行動を起こすときに、他人の目が気になってできない、アクションを起こせない、そんな人は多いかもしれません。実は私もそうです。
もちろん、相手に嫌われるよりも好かれる方がいいに決まっている。しかし、自分がこれだと決めたことには他人の目など気にせずに進んで欲しいし、自分もそうしたいとふと思いました。
自分の生き方を決めるのは他の誰でもなく、自分であるということを改めて考えた今日この頃。
携帯の奴隷に成り下がっている
LINEを返せ、LINEの未読無視はやめろとよく言われます。まず、最初に言っておきたいことは僕はLINEやメールの類が嫌いである。1つの会話についていったい何ラリーすれば良いのか?と思うのです。50ラリーするのも、1分電話すれば済むのに、時間がもったいないと思うのです。
[LINEを返す、待つ時間が楽しい]からLINEをするというのは、その人と私は相容れないと考えているので、その反論はスルーします。
私は仕事上、時間がありません。LINEをしているその時間を、自分が成長する時間に費やそうとは思わないのかと思うのです。
時代の進化とともに私たちの周りはどんどん便利になっていく。しかし、その便利なものに目を奪われて、本当に自分がしたいこと、自分がすべきことに目がいっていないのではないかと思うのです。
どのように時間を使うのかは自分次第、でも我々が馬鹿にしたその時間はかけがいのない時間なのではないか。
時間は無限ではない、私たちは有限である。